ホイアン散策③ ~貿易都市の面影~
「なんで回船問屋はいつも『越後屋』で、そちも悪よのぉ~・・・・と言われるのもいつも『越後屋』なんだろう・・・・??」
ここもベトナムの『越後屋』か??(笑)
約200年前に立てられた回船問屋(貿易商)の家の内部です。ベトナム・中国様式に加え、屋根の部分には日本の建築様式も取り入れられているとか。
ホイアンは洪水が多いところらしく(実際この日も川が氾濫していて、一番川沿いの道は水没しておりました。。。。)2階の床には1階から荷物を引き上げるべく、床に格子窓があるんです。
そのせいか1Fはたいしたことないのですが、2Fの柱には見事な螺鈿細工が。。。。
儲かってたのね~。
現在も子孫の方が居住しつつ守られているとか。でも文化財だから改装などもってのほか。
維持も、暮らすのも大変そうです。
さて、ホイアン、ここは鎖国政策を日本がとるまでは日本人もかなり進出していた貿易都市。
そのころ日本人によって建築された橋が観光名所として残っています。来遠橋。別名「日本橋」
外見こそこじんまりしておりますがなかなかどおして、この屋根付の橋は結構おおきい。
内部はこんなに広いんです。
さらにびっくりしたことに内部にはこんな廟もあるんですね~。
さらにこの街を闊歩して歩いていたと思われるのが中国人。中国の属国だった時代があったことを考えれば華僑が多いのは納得なのですが、やはりココは商人の街。ホイアン内にはそれぞれ福建會館(福建人の集会所)・潮州會館(潮州人の集会所)・廣肇會館(広東人と肇慶仁の集会所)などが建ってます。
そのなかで見学したのが福建會館。
巨大なお線香。お線香の香りってほっとするんですよね~。奉納するのは中国系タイ人の観光客が多いらしい。
奥には海の女神様であり、航海安全の守り神でもある天后の廟がありました。
やはり貿易都市らしいですね。ホイアン自体が南シナ海に流れ出る川の三角州に位置してますしね。
この川をかつてはたくさんの貿易船が行きかっていたのでしょう。そしてホイアンは今も昔も、外国人が多く訪れる街には変わりがないようです。