香港ノスタルジー② 調景嶺
今は亡き英国領香港の面影。中国返還ともに失われた村。
「調景嶺」と言う名の村をご存知でしょうか?
英国のユニオンジャックではなくて、台湾の晴天白日旗がいたるところにはためく村。
もうタイトルはすっかり忘れてしまったのだけれど、1980年代後半~90年始めごろのアンディ・ラウの映画の舞台になっていて、どうしてもそこへ行きたくて。もちろん、ロケ地めぐりとかそんなものではなく、この頃、香港という国とも地域ともいえぬ不思議な土地と空間に凄く興味があって、私、香港社会学を学んでおりました。香港に存在しながらも香港ではない、といわれる土地に興味があったの。そしてそんな場所がある、っと知ったのがその映画だったわけですよ。
中国内線時代に敗れた国民党の主力は台湾へ行き、中華民国をたちあげるわけだけれど、香港には国民党の軍隊がのこっていて、その残党が落人の村として形成したコミュニティがここ、「調景嶺」なのです。1960年以前までは台湾政府のバックアップをうけた治外法権エリアでもありましたが、その後、治外法権はなくなり、英国領香港の一部となりました。
今、2010年版の香港の地下鉄路線図を見るとたしかにここにも「調景嶺」という地下鉄の駅ができているのだけれど、93年にはそんなものなどなくて、不便な、ちょっと隔離された感じのする場所でした。
香港人の友人に聞いても「場所すら知らん。」と言われるし、ガイドブックにはもちろんないし。地図でみても場所だけは確認できるけれどたどり着く術が記載されていない(^^;)
この場所の記載があった英語文献(これもさー、漢字表記があれば一発でわかるのに、普通話の発音で英語表記だからこれを広東語に当てはめるのが大変だった・・・てか見当つかなかった・・^^)を手がかりに、道行く人にききながら路線バスのりついてたどりついた記憶があります。
本当に小さな村で、香港の中心部からくると歴史に取り残されてしまったような村でした。
平日の昼下がりにたどりついたのだけれど、香港なのか?とおもうほど時間の流れもゆるやかで静か。喧騒とは無縁です。
家々の軒先には年老いた老婆や翁が座り、交わされる言葉は広東語とは違う、北京語(普通話)。開け放たれたドアの奥ではマージャンに興じているらしく麻雀パイを混ぜるじゃらじゃらと言う音が微かに響いてきます。暖かい冬の陽射しに、廟でたいているのか、自宅のお供えなのか、お線香の香りと杏のような香油の香りが漂ってきます。
この頃の香港はもちろん、通常話される言葉は広東語でしたが、かなりの人に英語が通じたものです。ですがこの村では英語はまったく通じず、普通話が通じました。台湾政府のバックアップはなくなっていたといっても元・国民党関係者がおおかったようですね。
既に返還は決まっていたので、この村の行く先は再開発と言う名の取り壊しがきまっていたのですが。。。
現代史の一端というのか、ひとつの歴史の終わりというのか、傍観者として見ている自分にいたたまれなさを感じてしまいました。
帰りは思いのほかスムーズに。
「香港島にかえりたいんだけど、帰り道がわからない・・・」と歩いているおばちゃんに声をかけたところ、「丁度行くから一緒にいきましょう」と連れて行ってもらいました(^^;)港からフェリーにのって、たしか西湾河あたりに出たんだと思う。でもって港の目の前には地下鉄の入り口・・・。
港からフェリーにのれば、案外簡単に中心地へ帰れたのね・・・。ミニバス乗り継いだ往路はいったいなんだったんだ・・・。
その後、この場所へは訪れていませんが、今はどんな風にかわったのか・・・?
↑の湾も埋め立てられ、あの香港特有の高層アパート群に変っているのでしょうか・・・・・?